7月。ほととぎすの啼く声に耳を澄ます。
この夏館は、鎌倉の古賀邸。築100年の洋館がレストランになった。
瀟洒なレストランに、バングラデシュの事件を思い、深く哀悼したい。
大学で途上国開発の開発経済学を専攻していたので、この道の関係者の熱い志が偲ばれる。
先生、先輩、友人、会社の先輩、私の知人の多くの方々が尽力している。
みなさま、人生を捧げているほどなのに。。。
きのふより空深々とほととぎす 里美
(『家族』)
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Satomi Natori official site
7月。ほととぎすの啼く声に耳を澄ます。
この夏館は、鎌倉の古賀邸。築100年の洋館がレストランになった。
瀟洒なレストランに、バングラデシュの事件を思い、深く哀悼したい。
大学で途上国開発の開発経済学を専攻していたので、この道の関係者の熱い志が偲ばれる。
先生、先輩、友人、会社の先輩、私の知人の多くの方々が尽力している。
みなさま、人生を捧げているほどなのに。。。
きのふより空深々とほととぎす 里美
(『家族』)
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長谷の鎌倉文学館です。
平日の15時ごろですが、薔薇園は大賑わいでした。
偶然、薔薇越しに、俳句仲間のTさんに出会いました。美しい奥様とご一緒です。
Tさんが「妻が、」とよくおっしゃるのも、もっともと納得しました。
薔薇守の子を守るやうに蔭に立ち 里美
(『家族』)
2009年にここで詠んだ句ですが、薔薇守の方はお元気そうでした。
ちょうど、上の写真の「恋心」という薔薇が見ごろで、暫しうっとり。
館内では、萩原朔太郎展を開催中。
朔太郎はなんと、Tさんの高校の先輩だそうです。
朔太郎の言葉と人生にも浸りました。
旅上
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめて新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
『純情小曲集』より
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今日は、近所の森を抜けて、海辺まで。
砂浜をのんびりと歩きました。
浜には若布がたくさん打ち上げられていました。
朝日カルチャーセンター湘南が「初夏の江の島吟行会」を企画してくださいました。
日時:5月27日 (金)
ゆっくり江の島を吟行して、句会をいたします。
幼少時から、なじみの江の島。なつかしさと新しさで今も魅力的な島です。
よろしければ、ご一緒しましょう。
吟行は初めてでも、大丈夫です。
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この句集は、「藍生」の仲間の浅井敏子さまの第一句集です。
句集名は、『幼なじみ』。
浅井様ご夫妻は、なんと小学一年生の同級生なのです。今もなかよしご夫婦です。
句集の帯にある作品です。
のどけしや地球の上に佇つをんな 敏子
この作品に対して、黒田杏子先生は、
地球の上に佇つをんな即ち作者である浅井さんでしょう。こんな句を詠む女性はめったにいません。しかし、考えてみますと、この句に作者浅井敏子の本質が出ているのだという感じもしてきます。素直かつのびやかな人柄であることが分かります。
と序文で述べています。
熊本地震の続く今、この作品をあらためて読むと、感慨深くなります。
地球の揺るぎないことが、どんなにありがたいことであるか・・・
浅井さまは、ご自身のお母さまを震災でなくされておられるそうです。
そのお悲しみの〈地球の上〉なのかもしれません。
道問へば立ちて秩父の草取女 敏子
千歳飴りすの横切る裏通り
まなこ閉ぢゐる鳩もゐて冬はじめ
爽やかな力作の並ぶ『幼なじみ』(ふらんす堂)。
私は「メルヘンと孤愁」という跋文を書かせていただきました。
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しばらくご無沙汰いたしまして、申し訳ございません。
熊本地震の早期の終息と被災地の支援と復興を願っています。
被災された方々にエールを送るような俳句ってあるだろうか。
そんな考え自体おこがましいけれど、文学は人を励ますものでもあるべきだろう。
まず、自作を探してみた。
惜しみなく子を抱きしめよ大文字 里美
(『家族』)
この拙句は、夫が単身赴任していて、久々に再会した家族で大文字を観ているときに詠んだ一句。
句帳に書いてから、なんだか、先祖の声のように思えてきたことも。
地震におびえて不安な子供を抱きしめて勇気づけてあげたい。
ささやかなエールですけれど。
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朝日カルチャーセンター湘南で、俳句1日体験講座を開きます。
日時:2016年3月29日(火)
時間:午前10:15~12:15 or 13:00~15:00
午前は「こんにちは、俳句」、午後は「はじめまして、俳句」の既存講座に参加となります。
魅力あふれるみなさまの佳句の句会は、楽しく勉強になります。
私は、全句講評、アドバイスをいたします。
私のミニ講座も好評です。
詳細は、朝日カルチャセンター湘南のホームページをご覧ください。
あるいは、℡0466-24-2255へ。
なぜか毎回爆笑となる教室に、ぜひいらっしゃってくださいませ。
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1月24日、NHK全国俳句大会に出掛けました。
この大会の予選の選考委員を務めていました。
応募総数、42504句。その中から各選者に選ばれることは、光栄の至りです。
黒田杏子先生も選者でした。以下は先生の選ばれた三句です。
朝顔の咲いていた筈ヒロシマ忌 荒田苔石
クリスマス老人はただ街に出る 清水俊夫
アマゾンの日焼け一生の宝とす 佐藤あさ乃
朝顔の作品は、大会賞にも選ばれました。
荒田さまも黒田先生も壇上で大喜びでした。
黒田先生のご選評を写します。
原爆忌・広島忌の俳句は毎年数多く詠まれています。しかし、この句に出会ったとき、ハッとしました。八月六日、その朝早く、広島の市民の庭には涼やかに朝顔が開いていたと思われます。そののち原爆投下。これまで出会ったヒロシマ忌の句の中で私の心にもっとも深く刻まれた一行でした。
一瞬に消えた朝顔。種をまいて大切に育てていた人々・・・。
かなしみの名句にじんとします。
名句のあとに恥ずかしいですが、角川の『俳句』2月号に12句を載せていただきました。
タイトルは「先生」です。
この寒中、みなさまどうぞお大切になさってくださいませ。
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写真は、この一月で閉館となる、神奈川県立近代美術館の鎌倉館。
1月14日、「屋根」同人の高田(遊田)礼子さまが旅立たれました。
山口青邨門下の俳人で、私はこの方のお導きがなければ、俳句から遠ざかっていたかもしれません。
大学3年生の私が初めて青邨先生ご指導の「白塔会」に参加したときに、「うちで、黒田杏子先生の勉強句会をしているから、いらっしゃい」と大学の大先輩の礼子さまからお誘いをいただきました。
この句会が「木の椅子会」でした。礼子さまは、ご自宅の和室を開放され、句会の魅力あふれる場を献身的にお作りになられていました。
東京女子大の「白塔会」の予備校的性格と、黒田先生は私の句集『螢の木』の序文に書かれていらっしゃいましたが、学生と若いOG数名の家庭的な句会でした。礼子さま手書きのプリントの句会報が配られ、私は俳句の楽しさに引き込まれていきました。
この会に東大「原生林」の学生が参加されるようになり、のちのち「木の椅子会」は発展していきました。
現在の俳壇の中核を担う、当時の若き方々が集まる句会になっていったのです。
高田礼子さまと黒田杏子先生は、私を含め、年若い俳人を育ててくださった大恩人なのです。
不思議なことがありました。
13日の晩に、私は珍しく部屋の片づけをしていました。
翌日、礼子さまの訃報を知り、かなしみ落胆しているとき、昨晩の片づけものの中から、『春雪ージュニア俳句ー』(昭和63年9月)という冊子が一冊出てきたのです。それは、礼子さまがお一人で運営、編集されていた春雪ジュニア俳句会の機関誌でした。
その中に、私が「螢の木・抄」として、第一句集の中からの10句を寄稿していました。
このことを、礼子さまのお嬢様の桃子さんにお話すると、「母がみんなのところに挨拶しにいったんですね」とおっしゃっていました。
その機関誌には、高田礼子さまが、「宮沢賢治のこと」として文章を書かれています。
少し、引用させていただきます。
後に賢治は《私に詩眼を開いて下さったのは先生の童話です。私の童話は根本は法華経から来ていますけれ共、先生の童話の息のすることがお分かりになりませんか。》と八木(賢治の小学校三年の担任教師)に語っています。この新進の先生は又、子供達を外に連れ出して野外教育をほどこし、疲れると菓子などを買って食べさせ遊びながら共に学ぶ、ということを教えました。賢治が後に農学校の先生になった時の授業ぶりは、八木先生によく似ていたと云われています。
高田礼子さまは、この八木先生、並びに宮沢賢治の先生ぶりに似ていらしたと、私には思えてきました。
とてもお優しく、繊細かつ行動的な文学者、お母様でいらっしゃいました。
礼子さま、たくさんのあたたかなご指導を賜りまして誠にありがとうございました。
どうぞお安らかに、ご家族や私たちのことお見守りくださいませ。
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先日のバス事故の若い犠牲者には胸が痛む。心より哀悼を捧げます。
今日は、大学入試センター試験の日。
おうと片手を挙げゆけり受験生 里美
(『家族』)
数年前に、都内の受験校で小学生の受験生を送り出したときの句を思い出す。
そのあと、近くの公園を吟行したりして時間をつぶしたなあ。。。
受験子の顔大人びてゐたりけり 里美
(『家族』)
試験後の子供を迎えに、校門近くで待っていた。
ようやく出てきたわが子の印象。
「試験監督の先生の話がとてもおもしろかった」と子は満足そうだった。
その翌日も受験なので、そそくさと帰宅しなければならなかった。
受験は苦労があるけれど、子も親も成長の機会と、前向きに思うことにしようっと。
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庭に咲く臘梅です。19年前に、一本の枝の苗木を植えて、花を待つこと十年ぐらい。ようやく花がたくさん咲きはじめました。
今では、丈も高くなり、高い枝に花をつけ、あのふくよかな香りが遠ざかり。
裏山のヒヨドリが花を食べによく来ています。
遠ざかる臘梅の香の落ちてくる 里美
臘梅やぱくんと鵯の澄ましがほ
かなしみて臘梅の香につきあたり
終いの句は、96歳の山口青邨先生がお亡くなりになった12月の年が明けて、鎌倉で。1989年作。
もう27年前・・・
青邨先生に6年ほど、句会で毎月ご指導を賜りました。杖もつかず、東京女子大の小さな句座まで通ってくださいました。
その先生の意気込みに、私も中途半端な句は句会に出せない・・と思いました。
句会の前日、藤沢から井の頭公園まで出かけて作った句です。
やはらかに水を押しゆく鴨の胸 里美
(『あかり』)
この句を、句会で青邨先生に特選で評していただいたのが、青邨先生とのお別れとなりました。
お話はしっかりと普段どおりでしたが、句座から玄関まで、青邨先生の手を引かずにはいられないほどでした。
タクシーに乗り込まれた先生が、さっと手を上げられたお姿が目に焼き付いています。
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