三笠宮さまご逝去

百歳の三笠宮崇仁さまがご逝去された。
謹んで哀悼の意を捧げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

三笠宮さまは、80代後半のころ、東京女子大学の白塔会という句会にご参加くださっていた。
黒田杏子先生のご指導の句会である。
三笠宮さまは、その昔、東京女子大で古代オリエント史の授業をされていたご縁があった。

その20名ぐらいの句会で、数年、句座をご一緒させていただいた。
いつも名句をお出しになられ、黒田先生はじめ一同、感動していた。
三笠宮さまは、私たちにとても丁寧に気さくにお話しくださった。
和やかな句会のひとときは、楽しく過ぎていった。
台風の日の句会にもご参加くださるご熱心ぶりだった。

三笠宮さまが館長を務められる、三鷹の中近東文化センターで、桜の吟行俳句会を催してもくださった。
百合子さまから、和菓子を賜り、センターをかこむ桜が満開の句座で桜尽くしの俳句会は、この上なかった。
句会の前にそれぞれ、近くのICUのキャンパスの桜をめぐる吟行をした。
早くも、桜が舞い始めていた。
一陣の風に大樹の桜が降りしきるそのなかに、三笠宮さまが佇まれていらっしゃるお姿を遠くより拝見した。

  らんらんの櫻の雪を殿下かな    里美
               (『家族』)

  ふりしきる花の光やアラベスク   里美
               (『家族』)

三笠宮さま、妙なる素敵なお時間を賜りまして、心より御礼を申し上げます。

                  ☆

                  ☆
 

                  ☆

ねぶた

ねぶた祭に行きました。
道路わきにパイプ椅子が並べられ、仕事のためか、運よく最前列の席に座らせていただきました。
隣の席は、異国の方々。青森は、大型外国船の停泊地で、船が着くと、1400人ほどの外人が街にあふれ、ここはどこ?というにぎわいになるそうです。


近くで見ると、この細かく美しい彩色です。


後ろも、また魅せるのです。

県のねぶた、企業のねぶた、町内会のねぶた、自衛隊のねぶた、幼稚園のねぶた、学校のねぶた・・・様々な団体ごとの集団がねぶたの一団を作り上げていました。
太鼓、笛、鉦が鳴り響き、跳人(はねと)の子供から高齢者までが踊り、扇子持ちがねぶたを操り、「らっせらー」と掛け声があがります。
「がんばろう東北!」の掛け声も。

青森の熱いエネルギーに、「らっせらー!」と返して揺さぶられ続けました。
青森の魅力に引き付けられました。

                 ☆

                 ☆

                 ☆

ほととぎす

          
7月。ほととぎすの啼く声に耳を澄ます。
この夏館は、鎌倉の古賀邸。築100年の洋館がレストランになった。

瀟洒なレストランに、バングラデシュの事件を思い、深く哀悼したい。
大学で途上国開発の開発経済学を専攻していたので、この道の関係者の熱い志が偲ばれる。
先生、先輩、友人、会社の先輩、私の知人の多くの方々が尽力している。
みなさま、人生を捧げているほどなのに。。。

 
  きのふより空深々とほととぎす   里美
                 (『家族』)

            ☆

            ☆

            ☆

薔薇守 

長谷の鎌倉文学館です。

平日の15時ごろですが、薔薇園は大賑わいでした。

偶然、薔薇越しに、俳句仲間のTさんに出会いました。美しい奥様とご一緒です。

Tさんが「妻が、」とよくおっしゃるのも、もっともと納得しました。

  薔薇守の子を守るやうに蔭に立ち   里美 

                (『家族』)

2009年にここで詠んだ句ですが、薔薇守の方はお元気そうでした。

ちょうど、上の写真の「恋心」という薔薇が見ごろで、暫しうっとり。

館内では、萩原朔太郎展を開催中。

朔太郎はなんと、Tさんの高校の先輩だそうです。

 

朔太郎の言葉と人生にも浸りました。

  旅上

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめて新しき背広をきて

きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき

みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。

         『純情小曲集』より

      ☆

      ☆

      ☆

五月の江ノ島

今日は、近所の森を抜けて、海辺まで。
砂浜をのんびりと歩きました。
浜には若布がたくさん打ち上げられていました。

朝日カルチャーセンター湘南が「初夏の江の島吟行会」を企画してくださいました。

日時:5月27日 (金)

ゆっくり江の島を吟行して、句会をいたします。

幼少時から、なじみの江の島。なつかしさと新しさで今も魅力的な島です。
よろしければ、ご一緒しましょう。
吟行は初めてでも、大丈夫です。

              ☆

              ☆

              ☆

『幼なじみ』浅井敏子句集

この句集は、「藍生」の仲間の浅井敏子さまの第一句集です。
句集名は、『幼なじみ』。
浅井様ご夫妻は、なんと小学一年生の同級生なのです。今もなかよしご夫婦です。

句集の帯にある作品です。

  のどけしや地球の上に佇つをんな  敏子

この作品に対して、黒田杏子先生は、

地球の上に佇つをんな即ち作者である浅井さんでしょう。こんな句を詠む女性はめったにいません。しかし、考えてみますと、この句に作者浅井敏子の本質が出ているのだという感じもしてきます。素直かつのびやかな人柄であることが分かります。

と序文で述べています。

熊本地震の続く今、この作品をあらためて読むと、感慨深くなります。
地球の揺るぎないことが、どんなにありがたいことであるか・・・
浅井さまは、ご自身のお母さまを震災でなくされておられるそうです。
そのお悲しみの〈地球の上〉なのかもしれません。

   道問へば立ちて秩父の草取女   敏子
   千歳飴りすの横切る裏通り
   まなこ閉ぢゐる鳩もゐて冬はじめ
 
爽やかな力作の並ぶ『幼なじみ』(ふらんす堂)。
私は「メルヘンと孤愁」という跋文を書かせていただきました。   

           ☆

           ☆

           ☆ 

エール

しばらくご無沙汰いたしまして、申し訳ございません。
熊本地震の早期の終息と被災地の支援と復興を願っています。

被災された方々にエールを送るような俳句ってあるだろうか。
そんな考え自体おこがましいけれど、文学は人を励ますものでもあるべきだろう。

まず、自作を探してみた。

   惜しみなく子を抱きしめよ大文字   里美 
                 (『家族』)

この拙句は、夫が単身赴任していて、久々に再会した家族で大文字を観ているときに詠んだ一句。
句帳に書いてから、なんだか、先祖の声のように思えてきたことも。

地震におびえて不安な子供を抱きしめて勇気づけてあげたい。
ささやかなエールですけれど。
            

            ☆        

            ☆
 
            ☆

俳句一日体験

朝日カルチャーセンター湘南で、俳句1日体験講座を開きます。

日時:2016年3月29日(火)
時間:午前10:15~12:15  or 13:00~15:00

午前は「こんにちは、俳句」、午後は「はじめまして、俳句」の既存講座に参加となります。
魅力あふれるみなさまの佳句の句会は、楽しく勉強になります。
私は、全句講評、アドバイスをいたします。
私のミニ講座も好評です。

詳細は、朝日カルチャセンター湘南のホームページをご覧ください。
あるいは、℡0466-24-2255へ。

なぜか毎回爆笑となる教室に、ぜひいらっしゃってくださいませ。

                     
                 ☆

                 ☆

NHK全国俳句大会

1月24日、NHK全国俳句大会に出掛けました。

この大会の予選の選考委員を務めていました。
応募総数、42504句。その中から各選者に選ばれることは、光栄の至りです。

黒田杏子先生も選者でした。以下は先生の選ばれた三句です。

 朝顔の咲いていた筈ヒロシマ忌   荒田苔石

 クリスマス老人はただ街に出る   清水俊夫

 アマゾンの日焼け一生の宝とす   佐藤あさ乃

朝顔の作品は、大会賞にも選ばれました。
荒田さまも黒田先生も壇上で大喜びでした。
黒田先生のご選評を写します。

 原爆忌・広島忌の俳句は毎年数多く詠まれています。しかし、この句に出会ったとき、ハッとしました。八月六日、その朝早く、広島の市民の庭には涼やかに朝顔が開いていたと思われます。そののち原爆投下。これまで出会ったヒロシマ忌の句の中で私の心にもっとも深く刻まれた一行でした。

一瞬に消えた朝顔。種をまいて大切に育てていた人々・・・。
かなしみの名句にじんとします。

名句のあとに恥ずかしいですが、角川の『俳句』2月号に12句を載せていただきました。
タイトルは「先生」です。

この寒中、みなさまどうぞお大切になさってくださいませ。

              ☆  

              ☆

              ☆

哀悼

写真は、この一月で閉館となる、神奈川県立近代美術館の鎌倉館。
1月14日、「屋根」同人の高田(遊田)礼子さまが旅立たれました。
山口青邨門下の俳人で、私はこの方のお導きがなければ、俳句から遠ざかっていたかもしれません。

大学3年生の私が初めて青邨先生ご指導の「白塔会」に参加したときに、「うちで、黒田杏子先生の勉強句会をしているから、いらっしゃい」と大学の大先輩の礼子さまからお誘いをいただきました。
この句会が「木の椅子会」でした。礼子さまは、ご自宅の和室を開放され、句会の魅力あふれる場を献身的にお作りになられていました。
東京女子大の「白塔会」の予備校的性格と、黒田先生は私の句集『螢の木』の序文に書かれていらっしゃいましたが、学生と若いOG数名の家庭的な句会でした。礼子さま手書きのプリントの句会報が配られ、私は俳句の楽しさに引き込まれていきました。
この会に東大「原生林」の学生が参加されるようになり、のちのち「木の椅子会」は発展していきました。
現在の俳壇の中核を担う、当時の若き方々が集まる句会になっていったのです。

高田礼子さまと黒田杏子先生は、私を含め、年若い俳人を育ててくださった大恩人なのです。

不思議なことがありました。
13日の晩に、私は珍しく部屋の片づけをしていました。
翌日、礼子さまの訃報を知り、かなしみ落胆しているとき、昨晩の片づけものの中から、『春雪ージュニア俳句ー』(昭和63年9月)という冊子が一冊出てきたのです。それは、礼子さまがお一人で運営、編集されていた春雪ジュニア俳句会の機関誌でした。
その中に、私が「螢の木・抄」として、第一句集の中からの10句を寄稿していました。

このことを、礼子さまのお嬢様の桃子さんにお話すると、「母がみんなのところに挨拶しにいったんですね」とおっしゃっていました。
その機関誌には、高田礼子さまが、「宮沢賢治のこと」として文章を書かれています。
少し、引用させていただきます。

 後に賢治は《私に詩眼を開いて下さったのは先生の童話です。私の童話は根本は法華経から来ていますけれ共、先生の童話の息のすることがお分かりになりませんか。》と八木(賢治の小学校三年の担任教師)に語っています。この新進の先生は又、子供達を外に連れ出して野外教育をほどこし、疲れると菓子などを買って食べさせ遊びながら共に学ぶ、ということを教えました。賢治が後に農学校の先生になった時の授業ぶりは、八木先生によく似ていたと云われています。

高田礼子さまは、この八木先生、並びに宮沢賢治の先生ぶりに似ていらしたと、私には思えてきました。
とてもお優しく、繊細かつ行動的な文学者、お母様でいらっしゃいました。

礼子さま、たくさんのあたたかなご指導を賜りまして誠にありがとうございました。
どうぞお安らかに、ご家族や私たちのことお見守りくださいませ。

                          ☆

                          ☆

     
                          ☆