「俳句四季」3月号 続・続令和の新創刊

「俳句四季」3月号に、続・続令和の新創刊として、小誌「あかり」をご紹介してくださった。

4月に「あかり」刊行記念会を北鎌倉で開催する。

20数年のおつきあいではじめてお会いする会員様、富山から駆けつけてくださる会員様もおられ、今からどきどきしている。

食事と句会と吟行を楽しむ一日となる。

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かまくら春秋あかり俳壇

あかり俳句会は、毎月のご投句を、月刊文芸誌『かまくら春秋』の「かまくら春秋あかり俳壇」へお願いしております。わたし、名取里美が選者をつとめます。

「かまくら春秋あかり俳壇」には、あかり俳句会の会員様以外ももちろんご投稿できます。

文芸誌の中の俳壇をめざします。

一月号には、あかり俳壇の招待席に、前田万葉カトリック教会枢機卿の一句も掲載させていただきました。

ふるって、ご投稿くださいませ。

投稿規定  自作未発表の作品をおひとり様ハガキ一枚2句まで。

宛先  〒248-0032 鎌倉市津554-5「かまくら春秋あかり俳壇」

 

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『暮らしの歳時記365日』

毎日新聞出版より俳句αあるふぁ編集部編の『暮らしの歳時記365日』が刊行されました。

暮らしの中で息づく季語を詠んだ俳句と、その瑞々しい鑑賞文と、その季語のうつくしい写真が、日本のゆたかさを伝えてくれる一書です。

そう、海外の方もよろこばれるかも。

日本の文化を海外にアピールできる高著だと思います。

私の一句もご掲載いただき、ありがとうございます。

 まつすぐに汐風とほる茅の輪かな  里美

この句は、鎌倉の鶴岡八幡宮の茅の輪を詠みました。

思い出深い茅の輪です。

あるときは、妊婦で、幼子の手をひいていたり。

あるときは、知人の病いを心配に思ったり。

その病いの方に、鶴岡八幡宮の茅の輪のかたちのお守りを買ったことがありました。

でも、その方の信仰を知らず、差し上げなかったのですが、

その方は、後に、なんと鶴岡八幡宮の墓地に入られたのでした。

颯爽としたすてきな俳人でした。

雪の名句をたくさん残されました。

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黒田杏子先生追悼

黒田杏子先生から、またお電話があるような気がしてならない。

杏子先生を失ったかなしみは、これからますます深くなるばかりであろう。

追悼の気持ちをこめて、2022年に「藍生」に掲載した拙文を再掲載する。

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「藍生」とわたし

                 

「皆さんは詩人なんですよ」と山口青邨先生は大学内の句会で学生の斎藤杏子女史たちに語りかけたそうだ。

本棚に並ぶ「藍生」のどの号を開いても、すてきな俳句がぎっしり。こころが弾む。「藍生」のみなさまはみなすてきな俳人である。このすべての豊かな出会いは黒田杏子先生につながる。

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大学三年の十九歳のとき、私は杏子先生に出会った。以来、ほぼ毎月、句座を共にすることができた果報者である。若い人生に俳句がすべりこみ、ふくらんできて私は葛藤することになった。キャリアウーマンかつ文芸をすることが私の理想像で、杏子先生はまさに理想像そのものであった。はたして私にできるのか、悩んだ。親や外務省の受験勉強仲間から諭された。苦しかったが、結局、よし、俳句をやるぞと決意して大学を卒業した。

山口青邨先生ご指導の「白塔会」に学び、「夏草」にも学び投句した。牧羊社の「牧羊集」や詩誌の「ラ・メール俳壇」にも投句した。思いがけなく黒田杏子先生の序文第一号を賜り、句集『螢の木』を刊行した。「夏草」終刊後、「藍生」に入会したのである。

もう、二十七年も前なのだ。「藍生」創刊のはじめての例会に参加したあとに、私はあきらめかけた妊娠に気づいた。「藍生」でがんばろうと張り切っていたのに、切迫流産で安静となる。落胆した私を力づけたのが、「藍生集」の選句欄であった。句評を賜り、どれほど勇気づけられたことだろう。育んでいただいたことだろう。

創刊から三百二十九回以上もご多忙の中、選句作業をなさった杏子先生に心より敬意を表したい。藍生集のご選評は俳句の、ひいては人生の学びの書であった。杏子先生の作品、句友の俳句作品に心を洗われ続けている。

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出産予定日間近の私は、親となる前の最後の一人吟行として江ノ島に小舟で渡った。我ながら大胆。産気づかなくてよかった。そんなエピソードを「藍生」に綴ったこともなつかしい。私は文章を書くことも好きなので、書く機会は楽しく書かせていただき幸いだった。 

私は、杏子先生の文章の昔からのファンで、先生のご選評、エッセイを読むことを毎月楽しみにしている。藍生のみなさまのエッセイも味わい深く堪能している。

黒田杏子先生は、博報堂で培った名プロデューサーであり名編集者である。「藍生」の誌面のうつくしさは群を抜いていると外部のプロは絶賛していた。「藍生」の編集や事務局のお仕事をなさってくださっている方々にも感謝を申し上げたい。私も今後お手伝いに伺おうと思う。

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杏子先生ご企画の「藍生」の吟行句会のプログラムもすばらしく。私は幼子を母に預けてできるかぎり参加した。各地の名勝、聖地へ吟行句会ができたことは、かけがえのない旅であった。

ゆっくり吟行した羽黒山。夜更けに草に寝転んでみた流れ星。斎館に法螺貝が鳴り響き、心地よい風が吹き渡った大広間の大句会。あの清々しさは忘れがたい。

高野山の空海の霊廟で満行結願の杏子先生とともに正座して拝んだ灯明もこころに灯る。

「坂東吟行」は、数回、幹事として地元の「海燕の会」のみなさまと協力して貴重な勉強の場となった。鎌倉のひらきゆく桜をじっと見続けていらした杏子先生。

一介の老女一塊の山櫻     杏子    

の名句誕生のときだった。

「海燕の会」は、鎌倉近辺や遠出の吟行をして楽しく句会を重ねて十八年になる。

幹事として「いざ、鎌倉 藍生のつどい」を準備中の時だ。鎌倉で「海燕の会」の句会の最中、東日本大震災が発生した。電車が止まり、市役所泊りの仲間もいて句会の危うさを痛感した。震災にふるえつつ、つどいのために電卓をたたき続け、プランを練った。杏子先生ご提案による、ソウルの金理惠さんの韓国舞踊は好評でありがたかった。大会運営の準備の大変さを学び、皆で協力して仕事をする醍醐味を久々に味わった。大会最終日、みなさまが鎌倉プリンスホテルを去り、ひとり最後の会計の支払いをしていると、浅井さんご夫妻がロビーに現れ、愛車で拙宅まで送ってくださるとおっしゃる。驚きうれしかったことを思い出す。

杏子先生の百観音巡礼吟行は、二人の子育て期と重なり、存分に参加できなかった残念な思いもあるが、その他の吟行句会の豊かな思い出がたくさんある。

杏子先生本当にありがとうございます。杏子先生の句に学び句会に学び「藍生」に学び、今の私があります。三十七年間も、先生の俳句魂がわたしの俳句魂を育ててくださいました。感謝の気持ちがいっぱいで涙がこぼれそう。これからも青邨先生、杏子先生と「藍生」に学び続けてゆく所存です。

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『日本近代文学大事典』黒田杏子先生 

2022年に、『日本近代文学大事典』の増補改訂デジタル版への掲載ということで、わが師の黒田杏子の項目を依頼され、執筆いたしました。

私は、19歳から黒田杏子先生の句会で俳句をはじめ、句座を40年ほどご一緒させていただき、師を仰ぎながらの俳句活動の日々ですから、執筆のご依頼は光栄なことでした。

黒田杏子論を『藍生』と『俳句春秋』などに、2008年から2022年までに五編を掲載しましたけれど、

大辞典の原稿を書き進めるうちに、プロデューサーの師が自らの俳句人生を鮮やかにプロデュースされているあゆみが立ち上がってきました。

黒田杏子先生に、この掲載欄をご覧いただき、「よくまとめてくれた、大変だったでしょう、ありがとう」と感謝のお言葉をいただきました。

『日本近代文学大事典』の編集委員会のご編集を経て、ようやく、2023年3月に新しい改訂版が公開されました。

以下のような個人用と学校・機関用のご案内があります。

ご覧いただければ幸いです。

https://japanknowledge.com/personal/

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彼岸  父を見送って

『鎌倉ペンクラブ』二月号に、「彼岸」というタイトルで、

昨秋の彼岸に他界した父、小原孝弼のことを書きました。

父の供養のために書いた拙文を転載させていただきます。

  

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駿河梅花文学賞


大中寺は沼津にある古刹。4000坪のお庭は数百株の梅の園です。
大正天皇をはじめ皇室の宮さまがたも遊ばされるそうです。

私と大中寺のご縁は、2002年に、大中寺が主催する「第4回駿河梅花文学賞」を、
思いがけなく私の第二句集『あかり』が受賞したことにはじまりました。
この「駿河梅花文学賞」は、大中寺の住職下山光悦氏と
眞鍋呉夫氏、那珂太郎氏、加島祥造氏、三好豊一郎氏、みなさまの企画と伺っています。
その年に出版された詩・短歌・俳句の刊行物から選者合議推薦により
梅花文学大賞として「駿河梅花文学賞」 の一冊が選ばれます。

さらに英語HAIKU、短詩型文学の子供部門もあり、
公募による「梅花文学賞」の審査も行われ、
授賞式には、大勢の受賞者が大中寺に参集。
子供も大人も受賞者がその受賞作品を朗読披露しました。
格調高い大中寺の本堂の中で、
選者も参加者も各人の詩の世界に浸り、ほのぼのと堪能しました。

白い着物が緊張した私。

選考委員の種村季弘先生、春日井建先生、
眞鍋呉夫先生、那珂太郎先生、笠原淳先生、加島祥造先生はつぎつぎと天上に旅立たれてしまいました。

今もご活躍の高橋順子先生。

師の黒田杏子先生も駆けつけてくださいました。

先生方に託された思いを忘れずに精進してゆかなければならないと、
梅の花に思いをあらたにします。

手袋をはづして拾ふ梅の花  里美 
             (『あかり』)

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反戦の俳句

『鎌倉ペンクラブ』№27(2022.8)に「反戦の俳句」を寄稿しました。

 

わたしの反戦の俳句が掲載された教科書が、高校生の手元にとどくころ、

ウクライナへの侵攻が始まってしまいました。

やるせなく、反戦の俳句について論じた小文です。

思いがけなく、この教科書の編集部へも、この小文が送られることになりました。

一日も早い停戦を祈ります。

 

反戦の俳句  ―全文ー

  

               

   しばらくは秋蝶仰ぐ爆心地      里美

ふいに白い蝶が青い空に飛びあがった。その残像は、今も私のなかにある。この句は、二十七歳のとき、はじめて訪れた長崎で句帖に書いた。

この句が令和四年度から、高校の国語教科書『新編言語文化』と『精選言語文化』に掲載された。掲載の知らせが来たのは、コロナ禍になる少し前だった。文部科学省の検定前で、出版社から句の掲載を内密にするように頼まれた。

突然の知らせに驚いたのはいうまでもない。第二句集『あかり』に収めた昔の一句なので、拾い上げていただけたことがうれしく、反戦の一句であることにしみじみとした。両親は太平洋戦争で苦労した世代。両親と家族が静かに喜んでくれた。

その束の間のできごとのあとに、新型コロナウイルスが世界にじわじわと広がり始めた。

そのさなか、大学生の息子は仏留学を終えて、欧州を放浪していた。欧州の西から東へ広がるコロナウイルスに追いかけられるように、彼は東へと旅していた。「危ないから早く帰ったら」と彼にメールをすれば、「今、キーウにいる」と返事が来た。地図を見れば、キーウはあのチョルノービリ原発の近くに見えたので不安になった。「今しか行く機会がない」が彼の口癖。イタリアで盗難に合いながらも帰国を躊躇していたが、新型コロナの病状が伝わると、当時欧州ではメジャーな商品でなかったマスクを、ウクライナ人の友人に分けて貰い、ようやく帰国の途についた。

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そのウクライナが、コロナ禍につづき、戦禍にも見舞われるとは。悲しすぎる現実に打ちのめされた。

私は日々、ウクライナに関する専門家の解説に耳目を傾けた。政治、防衛、歴史、外交、さまざまな立場からの解説に、問題の根深さを学んだ。人間の闇の深さにおののきもして。

私の爆心地の一句が記載の教科書が高校生の手元に届く頃、核兵器の脅威が増すことになるとは。やるせなくも、私は解決にほど遠い反戦の俳句を詠み始めていた。

   珈琲も銃も手に取る余寒かな      里美

この侵攻直前にウクライナ住民の女性が防衛のための銃訓練をする映像に、私はまず不安が募っていた。ウクライナ人は珈琲好き。たぶん珈琲を飲んだあとに銃を手に取っている。その冷たいであろう銃の感触が空恐ろしかった。

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俳句はHAIKUとして、世界で親しまれている。

俳句には、ある平和性がある。俳句を詠むために自然を観察すると、自然を愛する心が育くまれ、自然保護を考える。俳句の交流により人々が多様性を認め合い、世界の交流を深めることが、ひいては世界平和につながるというもの。日本から世界へ、平和のメッセージ発信の意味を込めて、俳句のユネスコ無形文化遺産登録推進の活動もある。この俳句の平和性は、私が俳句を愛するよりどころのひとつである。

では、戦争となれば、俳句は無力なのだろうか。

戦禍の長引くウクライナのハルキウの地下壕で避難生活をしているウクライナ人が、SNS上で俳句を発表していることを知った。引用させていただく。

   For the whole evening

   a cricket has been mourning

   victims of the war

                   Vladislava Simonova

戦場に鳴くこおろぎの声に震える。戦禍の現場で詠んだ一句ほど真に迫る作はない。作者の彼女に読者の共感の声が届き、すこしでも彼女をなぐさめられたらと願う。詩歌は、苦しむ者を癒す力がある。

太平洋戦争下の俳人は、悲劇の中から戦争の名句を詠んだ。

   海に出て木枯帰るところなし      山口誓子

   水脈の果炎天の墓碑を置きて去る    金子兜太

誓子は日本で特攻を悼んで詠んだ。〈木枯〉は特攻兵を暗示している。兜太は戦地のトラック島を去るときを詠んだ。生涯忘れられない景と聴く。

戦争の作品は深淵な悲しみの作となり、さらにその作品から反戦への共感を増やすだろう。つらく切ない反戦の俳句が、未来の平和の種となりますように。何はともあれ、一日も早い停戦を祈るばかりである。

今日は、沖縄慰霊の日。木漏れ日の庭に白い蝶がやってきた。

(『鎌倉ペンクラブ』no.27 2022.8 )

             

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Anti-war HAIKU

                          Satomi Natori (Haiku poet)

For a while

I look up at an autumn butterfly

at the epicenter        

                                 Satomi Natori

A white butterfly suddenly flew up into the blue sky. Its afterimage still remains in my mind. I wrote this haiku in a haiku notebook during my first visit to Nagasaki at the age of 27.

In 2022, this haiku was published in the high school Japanese language textbooks “New Language and Culture” and “Selected Language and Culture.” The notice of its publication came to me shortly before the start of the coronavirus epidemic. It was before the Ministry of …