停戦と眠り

しとしと雨の日が続く。まさに菜種梅雨。
つきあたりの畑に二列の菜の花。黄色がこころをぽっと明るくしてくれる。
雨がやんで、
青空がひろがると、
菜の花の黄色は、ウクライナ国旗の黄色となり、途端に悲しい色となる。

1870年の普仏戦争で、首都防衛戦に加わったマネは、「Civil War」という題名のデッサンを描いた。メトロポリタン美術館に所蔵される。

戦争に色を重ねることは、マネにとって、拒絶したいこと、
許しがたいことだったのだろう。怒りと悲しみのモノクロームである。

一刻も早く、停戦になり、誰もが、枕にゆったりと安眠できる日をと祈る日々がつづく。

 
  停戦の禱りをけふも菜種梅雨  里美

  菜種梅雨モノクロームの戦争画

  月おぼろ戦争おぼろ人おぼろ

           
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「停戦」と題して、『俳壇』5月号に六句寄稿した。

「眠り」をテーマに『NHK俳句』5月号にエッセイと十五句の鑑賞文を寄稿した。

        
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わたしの一句が教科書に

新学期。手にした、新しく、ぴーんと張りつめた国語の教科書をひらいて、わくわくして読んだ昔。

その学年年齢にふさわしい作品が選ばれているからだろう。どの作品からも、文学のエッセンスがふわふわ漂ってきて、幼いながらにうっとりと読んだ。

教科書の日本の文学に触れつつ、学びつつ、子供の心に、日本人としてのアイデンティティが自ずと形成されていったような気がする。

 しばらくは秋蝶仰ぐ爆心地     名取里美

この一句が、高等学校の国語教科書『精選言語文化』と『新編言語文化』に掲載された。令和4年から使用する教科書である。

ほんとうにびっくり、掲載は面映ゆい。

27歳のとき、はじめて訪れた長崎で詠んだ一句だった。清々しい青空がひろがる長崎の街を歩いた。

この句を句集『あかり』に掲載したのが、2000年。

2022年の1月末の今や、ウクライナで緊張が高まっている。恐ろしいほどに兵器が進歩した現在である。

小さな島国の一市民の私は、ただただ、外交による平和をねがうばかりである。つつましく俳句のこころの花火を上げるばかりである。

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月を仰ぐ

ささやかな人生の或る時を俳句に詠む。俳句に詠んだおかげで、その或る時が、後々、映画のように私には甦ってくる。

月を仰いだ私の或る時を辿ってみる。

  照る月の胎児に腹を蹴られけり  『あかり』

流産、早産の危機を乗り越えたときに詠んだ句。月を詠もうと庭で月を仰いでいるとき、膨らんだお腹を胎児にぽんと蹴られた。

胎児は月光を感じるのだろうか。出産はやはり満月の日だった。その子も無事生まれれば、

  庭先の子供は月を見て飽かず   『あかり』

幼い目にも、月の光は不思議に見えたのであろう。いつまでも月を見上げる二歳児に。

  父母の十六夜の手をひく子かな   『あかり』

私は句会があると、子供を実家に預けて出かけた。

十六夜も上がり、子供を迎えに行くと、子供がわたしたち夫婦の手を早く帰ろうと云わんばかりに引っ張った。幼心の寂しさを感じた。

時は飛んで、私も働き盛りの中年になれば、

  月光やこの淋しさのあるかぎり   『森の螢』

生は死へむかう淋しさをひしひしと。

  月おぼろ人の記憶の中に吾    『森の螢』

高校の同窓会。銀座は朧月。「放課後の教室であなたはこう言った」と鮮明に話しはじめるD女史。

  スーパームーン父に言葉が戻る   『森の螢』

退院後、口数の減った父が急に以前のように語り始めた。折しも、地球に最接近した名月の力かもと思わせた。

  モナリザの青さ増したる良夜かな   『森の螢』

  名月や巴里街頭に眠るひと      『森の螢』

再会のモナ・リザ。廻りめぐったルーブル美術館の窓は、いつしか十五夜の景。

パリに遊学中の子の下宿先からも、名月を仰いだ。向かいのアパートの曲がり角に、二人の路上生活者がいて、いつもそこを通るときに気がかりだった。今宵は満月の石畳に寝入る黒い姿。

蕪村の「月天心貧しき町を通りけり」を思い出した。蕪村から二百年もたった現代でも、いずこの国にもある貧困。貧困の問題解決にはほど遠い、俳句の世界に浸った半生を、申し訳なくも思う望の夜であった。

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日本文藝家協会推薦入会

ようやく梅雨入り、と思った日に、大きな封書が届きました。

日本文藝家協会 理事長 林 真理子氏からで、推薦入会のお勧めでした。

推薦理事のお名前に俳人の大串 章氏と歌人の篠 弘氏のお名前が記載されていました。

日本文藝家協会の名前は、昔から見聞していましたから、実体はよく知らないけれど憧れていた自分に気づきました。

先日、NHKに出演の林 真理子氏のトークから、作家たるパワーに圧倒された瞬間を思い出しながら、ありがたく、入会の申し込み書を書きました。

なにかいいことあるかしら。

ワクチン接種券も来ていないのに。

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読売新聞 俳句題詠「慈雨」

昨日、6月11日の読売新聞夕刊の2面に、「慈雨」をテーマにした五句を寄稿しました。

走り梅雨のような日を選んで、久々に雨に濡れながら吟行しました。

締切日まで、晴れの日の方が多く、雨の句に恵まれませんでしたが、ある雨の晩、出歩くと、ふわっと飛んできた鳥が電線に止まりました。なんと、まん丸い頭の青葉木菟のシルエット!初めて見た青葉木菟でした。すぐに飛び立ってしまいましたけれど。

まだ、青葉木菟の声は聞こえてきません。。。

歌人の時田則雄先生の作品も掲載です。読売新聞夕刊をお読みいただければ、幸いです。

いよいよ梅雨入りでしょうか。

みなさまどうぞご自愛でくださいませ。

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湖畔まで 角川『俳句』5月号

遅ればせながら、この号に拙句12句を寄稿しました。

原稿締切は3月19日だったのですが、このコロナ禍ですから、遠出もできず、近所を吟行してあれこれ作句していました。これでいいかなあと、拙句をまとめていた3月11日、突然、義父の訃報が。急きょ、葬儀のために諏訪まで出かけました。

義父は諏訪湖のほとりの施設に暮らしていました。そばに居てほしいと願いましたが、自らの意志で都内から諏訪へと移転していました。フランス文学者で都立大教授でした。東大ではバイオリンを抱えた星新一氏をよく見かけたという享年94歳でした。

義父の話で俳句にまつわる興味深いことがありました。義父の後輩の平井照敏氏に、義父が青山短大の職を紹介すると、平井氏はそこで加藤楸邨氏と出会い、詩から俳句へと転向されたということでした。

私はかつて、平井照敏氏の作品を鑑賞したことがあり、ご挨拶に義父の話をすると平井先生は大層驚かれて、お手紙をいただいたことがありました。

喪のかなしみもさることながら、私の心残りは、義父に作句をすすめられなかったことです。諏訪湖のほとりで俳句を始めていたら、義父はさらに充実した余生を楽しめたのでは・・・と思う後悔です。 

葬儀のあとで、諏訪湖で拙句を詠み、結局その拙句を12句にまとめて編集部に送りました。

幾度も訪ねた諏訪湖でしたが、めずらしくその日は、雨の諏訪湖でした。

タビハイ 巴里居候雑記

堀切克洋氏が運営する俳句のポータルサイト「セクト・ポクリット」。

その中の企画、「タビハイ」ー旅する俳句 旅する俳人ー に寄稿いたしました。

タビハイ【第4回】巴里居候雑記/名取里美 | セクト・ポクリット【タビハイ】旅する俳句、旅する俳人【第4回】巴里居候雑記名取里美(「藍生」)こんにちは、名取里美です。このたびは、28年ぶsectpoclit.com

旅をし難い昨今、すこし前のできごとですが、すこしの旅気分をどうぞ!

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伊勢に生まれて

井上弘美主宰の俳誌『汀』に「わたしと着物」というエッセイの連載がある。『汀』3月号に、私も書かせていただいた。

タイトルは、「伊勢に生まれて」。私の祖母、母、私と三代の女たちは伊勢に生まれた。祖母と母は伊勢に育ち、私は、十代までの夏休みを伊勢の祖父母の家で過ごしてきた。伊勢は私のこころの故郷なのである。

思えば、わたしのささやかな着物は、すべて祖母と母の見立てで選んだものであった。

伊勢の神領民としての生活、祖母の着物への愛着などから、着物のエピソードを綴った。

私のはじめてのボーナスで買った反物で仕立てた付け下げを着て、駿河梅花文学大賞の授賞式に出かけたときのハプニングも。

いずれ、井上先生が単行本化されるそうで、楽しみにしている。

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京都新聞 俳句はいま 2021.2.8

神野紗希氏による『森の螢』のご鑑賞文が、京都新聞に掲載されていた。

奈良の句友から、お知らせいただいた。

神野氏は、『森の螢』を「世界と交歓する祝祭」という視点から鮮やかに論じられていた。

名取里美は第四句集『森の螢』で、社会、世界、私のトライアングルを組み上げた。(中略)                               〈ふりしぼる終の光を青螢〉〈奥へ奥へ闇ひらきゆく螢かな〉。現れては消える蛍は「コロナ禍に右往左往する間も、森の営みは変わらず、厳かにつづいている」(あとがき)ことの象徴であり、闇を負う世界の使者だ。<亡魂の螢の森となりにけり><みづうみへふぶく櫻となりたしや>、私もいつか蛍や櫻となりゆく。一個の生を超えた時空を、透徹する美意識が練り上げた。

神野氏の文章を一部抜粋させていただいた。

ありがとうございます、紗希さま!

神野氏も昨年、『すみれそよぐ』という第三句集を刊行。

すみれそよぐ生後0日目の寝息     紗希

妊娠、出産、子育ての難事のなかに、あたらしい鋭さで詩をすくいとった作品群のエネルギーがまぶしい。

句集『森の螢』Kindle版発行!

2020年の11月に角川書店から刊行した拙句集『森の螢』。

おかげさまでご好評につき、このたび、Amazon Kindle版をリリースしました。

実は、この本は書店流通していませんでした。

角川「俳句」編集部(☎04-2003-8716)でしか購入できなかったのです。

やっと、Amazonに『森の螢』が検索できるようになって、ほっとした春の宵です。