芭蕉が凡兆に「一世のうち秀逸三五あらん人は作者、十句に及ぶ人は名人なり」と語った言葉がある。
この言葉に対して、芥川龍之介は、
名人さへ一生を消磨した後、十句しか得られぬと云ふことになると、俳諧も亦閑事業ではない。しかも芭蕉の説によれば、つまりは「生涯の道の草」である!
と『芭蕉雑記』に述べる。
そうか、生涯の道の草であるから、なるほど吟行は道草の風情である。
ときどき、「あなたの代表句を十句」と求められる。
掲載は光栄なことであるが、十句は緊張する数である。
先日、わたしが角川の「現代俳人名鑑」に掲載した十句は以下である。
濡燕玉砂利深くなりゆくも 『螢の木』
十月の柳の下に櫂ひとつ 『螢の木』
城壁に薔薇の実紅く人とゐる 『螢の木』
月の海乳張る胸のしびれけり 『あかり』
白梅や生れきて乳を強く吸ひ 『あかり』
まつすぐに汐風とほる茅の輪かな 『家族』
露の玉強き光となつて消ゆ 『家族』
あはうみの汀かがやく梅雨入かな 『家族』
大切なもの見えてくる螢かな 『家族』
野葡萄のはや海のいろ空の色 「藍生」
この十句を超える俳句を、生涯の道草をしながら書きすすめよう!
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