「俳句四季」7月号の、〈わが道を行く〉の見開きページに、拙句のご紹介の機会をたまわりました。

家族の急病と黒田杏子先生の急逝がつづき、新作15句は、かなしみと不安の日々の作句でした。
これから、ほんとうに、山口青邨先生と黒田杏子先生に学んだ俳句精神をたずさえながら、わが道を行く月日となります。
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Satomi Natori official site
「俳句四季」7月号の、〈わが道を行く〉の見開きページに、拙句のご紹介の機会をたまわりました。

家族の急病と黒田杏子先生の急逝がつづき、新作15句は、かなしみと不安の日々の作句でした。
これから、ほんとうに、山口青邨先生と黒田杏子先生に学んだ俳句精神をたずさえながら、わが道を行く月日となります。
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令和4年から高校の国語教科書に採用されたわたしの一句が
NHK高校講座の「言語文化」にも掲載され、朗読されています。
しばらくは秋蝶仰ぐ爆心地 名取里美
高浜虚子、飯田蛇笏、水原秋櫻子とつづき、畏れ多いのですが、わたしの一句は終りから二番目です。
https://www2.nhk.or.jp/kokokoza/watch/?das_id=D0022310151_00000
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藤岡値衣氏の第一句集『冬の光』(コールサック社)の書評を「コールサック」114号に2ページ寄稿しました。

藤岡氏は、「藍生」「いぶき」に所属。德島生まれの德島育ち。1960年生まれの俳人教師です。三十数年の俳句作品の集大成は、迫力があります。
はたた神阿波女にはかなふまい 値衣
黒田杏子先生の最後の序文が、掲載されています。藤岡氏の十句鑑賞を句会で語りかけるように述べられています。
わたしは、藤岡氏の俳句における自己表出と、「冬の光」をキーワードに、鑑賞いたしました。
冬に入る古書街だれも振り向かず 値衣
金剛杖冬の光の片隅に
句集『冬の光』が、これから、あまたの読者の心にあたたかく厳かに差し込んでゆくでしょう。

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この七月から、朝日カルチャーセンター横浜教室で「こんにちは、俳句」の教室講座をひらきます。
コロナ禍は、オンライン講座と添削講座に切り替えていました。
横浜教室で、句会を楽しみつつ、俳句を深く学んでゆきます。
初心忘るべからずで、山口青邨と黒田杏子に学んだ俳句精神を受け継いで、お話してゆきたいと思います。みなさまにお目にかかれることを楽しみにしております。
以下に、この講座のご案内があります。
https://www.asahiculture.jp/course/yokohama/e7685a40-e311-70eb-e55c- 642e2137f1b0
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毎日新聞出版より俳句αあるふぁ編集部編の『暮らしの歳時記365日』が刊行されました。
暮らしの中で息づく季語を詠んだ俳句と、その瑞々しい鑑賞文と、その季語のうつくしい写真が、日本のゆたかさを伝えてくれる一書です。
そう、海外の方もよろこばれるかも。
日本の文化を海外にアピールできる高著だと思います。

私の一句もご掲載いただき、ありがとうございます。
まつすぐに汐風とほる茅の輪かな 里美

この句は、鎌倉の鶴岡八幡宮の茅の輪を詠みました。
思い出深い茅の輪です。
あるときは、妊婦で、幼子の手をひいていたり。
あるときは、知人の病いを心配に思ったり。
その病いの方に、鶴岡八幡宮の茅の輪のかたちのお守りを買ったことがありました。
でも、その方の信仰を知らず、差し上げなかったのですが、
その方は、後に、なんと鶴岡八幡宮の墓地に入られたのでした。
颯爽としたすてきな俳人でした。
雪の名句をたくさん残されました。
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黒田杏子先生から、またお電話があるような気がしてならない。
杏子先生を失ったかなしみは、これからますます深くなるばかりであろう。
追悼の気持ちをこめて、2022年に「藍生」に掲載した拙文を再掲載する。
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「藍生」とわたし
「皆さんは詩人なんですよ」と山口青邨先生は大学内の句会で学生の斎藤杏子女史たちに語りかけたそうだ。
本棚に並ぶ「藍生」のどの号を開いても、すてきな俳句がぎっしり。こころが弾む。「藍生」のみなさまはみなすてきな俳人である。このすべての豊かな出会いは黒田杏子先生につながる。
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大学三年の十九歳のとき、私は杏子先生に出会った。以来、ほぼ毎月、句座を共にすることができた果報者である。若い人生に俳句がすべりこみ、ふくらんできて私は葛藤することになった。キャリアウーマンかつ文芸をすることが私の理想像で、杏子先生はまさに理想像そのものであった。はたして私にできるのか、悩んだ。親や外務省の受験勉強仲間から諭された。苦しかったが、結局、よし、俳句をやるぞと決意して大学を卒業した。
山口青邨先生ご指導の「白塔会」に学び、「夏草」にも学び投句した。牧羊社の「牧羊集」や詩誌の「ラ・メール俳壇」にも投句した。思いがけなく黒田杏子先生の序文第一号を賜り、句集『螢の木』を刊行した。「夏草」終刊後、「藍生」に入会したのである。
もう、二十七年も前なのだ。「藍生」創刊のはじめての例会に参加したあとに、私はあきらめかけた妊娠に気づいた。「藍生」でがんばろうと張り切っていたのに、切迫流産で安静となる。落胆した私を力づけたのが、「藍生集」の選句欄であった。句評を賜り、どれほど勇気づけられたことだろう。育んでいただいたことだろう。
創刊から三百二十九回以上もご多忙の中、選句作業をなさった杏子先生に心より敬意を表したい。藍生集のご選評は俳句の、ひいては人生の学びの書であった。杏子先生の作品、句友の俳句作品に心を洗われ続けている。
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出産予定日間近の私は、親となる前の最後の一人吟行として江ノ島に小舟で渡った。我ながら大胆。産気づかなくてよかった。そんなエピソードを「藍生」に綴ったこともなつかしい。私は文章を書くことも好きなので、書く機会は楽しく書かせていただき幸いだった。
私は、杏子先生の文章の昔からのファンで、先生のご選評、エッセイを読むことを毎月楽しみにしている。藍生のみなさまのエッセイも味わい深く堪能している。
黒田杏子先生は、博報堂で培った名プロデューサーであり名編集者である。「藍生」の誌面のうつくしさは群を抜いていると外部のプロは絶賛していた。「藍生」の編集や事務局のお仕事をなさってくださっている方々にも感謝を申し上げたい。私も今後お手伝いに伺おうと思う。
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杏子先生ご企画の「藍生」の吟行句会のプログラムもすばらしく。私は幼子を母に預けてできるかぎり参加した。各地の名勝、聖地へ吟行句会ができたことは、かけがえのない旅であった。
ゆっくり吟行した羽黒山。夜更けに草に寝転んでみた流れ星。斎館に法螺貝が鳴り響き、心地よい風が吹き渡った大広間の大句会。あの清々しさは忘れがたい。
高野山の空海の霊廟で満行結願の杏子先生とともに正座して拝んだ灯明もこころに灯る。
「坂東吟行」は、数回、幹事として地元の「海燕の会」のみなさまと協力して貴重な勉強の場となった。鎌倉のひらきゆく桜をじっと見続けていらした杏子先生。
一介の老女一塊の山櫻 杏子
の名句誕生のときだった。
「海燕の会」は、鎌倉近辺や遠出の吟行をして楽しく句会を重ねて十八年になる。
幹事として「いざ、鎌倉 藍生のつどい」を準備中の時だ。鎌倉で「海燕の会」の句会の最中、東日本大震災が発生した。電車が止まり、市役所泊りの仲間もいて句会の危うさを痛感した。震災にふるえつつ、つどいのために電卓をたたき続け、プランを練った。杏子先生ご提案による、ソウルの金理惠さんの韓国舞踊は好評でありがたかった。大会運営の準備の大変さを学び、皆で協力して仕事をする醍醐味を久々に味わった。大会最終日、みなさまが鎌倉プリンスホテルを去り、ひとり最後の会計の支払いをしていると、浅井さんご夫妻がロビーに現れ、愛車で拙宅まで送ってくださるとおっしゃる。驚きうれしかったことを思い出す。
杏子先生の百観音巡礼吟行は、二人の子育て期と重なり、存分に参加できなかった残念な思いもあるが、その他の吟行句会の豊かな思い出がたくさんある。
杏子先生本当にありがとうございます。杏子先生の句に学び句会に学び「藍生」に学び、今の私があります。三十七年間も、先生の俳句魂がわたしの俳句魂を育ててくださいました。感謝の気持ちがいっぱいで涙がこぼれそう。これからも青邨先生、杏子先生と「藍生」に学び続けてゆく所存です。
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2022年に、『日本近代文学大事典』の増補改訂デジタル版への掲載ということで、わが師の黒田杏子の項目を依頼され、執筆いたしました。
私は、19歳から黒田杏子先生の句会で俳句をはじめ、句座を40年ほどご一緒させていただき、師を仰ぎながらの俳句活動の日々ですから、執筆のご依頼は光栄なことでした。
黒田杏子論を『藍生』と『俳句春秋』などに、2008年から2022年までに五編を掲載しましたけれど、
大辞典の原稿を書き進めるうちに、プロデューサーの師が自らの俳句人生を鮮やかにプロデュースされているあゆみが立ち上がってきました。
黒田杏子先生に、この掲載欄をご覧いただき、「よくまとめてくれた、大変だったでしょう、ありがとう」と感謝のお言葉をいただきました。
『日本近代文学大事典』の編集委員会のご編集を経て、ようやく、2023年3月に新しい改訂版が公開されました。
以下のような個人用と学校・機関用のご案内があります。
ご覧いただければ幸いです。
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大中寺は沼津にある古刹。4000坪のお庭は数百株の梅の園です。
大正天皇をはじめ皇室の宮さまがたも遊ばされるそうです。
私と大中寺のご縁は、2002年に、大中寺が主催する「第4回駿河梅花文学賞」を、
思いがけなく私の第二句集『あかり』が受賞したことにはじまりました。
この「駿河梅花文学賞」は、大中寺の住職下山光悦氏と
眞鍋呉夫氏、那珂太郎氏、加島祥造氏、三好豊一郎氏、みなさまの企画と伺っています。
その年に出版された詩・短歌・俳句の刊行物から選者合議推薦により
梅花文学大賞として「駿河梅花文学賞」 の一冊が選ばれます。
さらに英語HAIKU、短詩型文学の子供部門もあり、
公募による「梅花文学賞」の審査も行われ、
授賞式には、大勢の受賞者が大中寺に参集。
子供も大人も受賞者がその受賞作品を朗読披露しました。
格調高い大中寺の本堂の中で、
選者も参加者も各人の詩の世界に浸り、ほのぼのと堪能しました。

錚々たる先生方に囲まれて、白い着物が緊張した私。
司会の下山光悦住職。
前列左から、眞鍋呉夫先生、春日井建先生、わたし、高橋順子先生。
後列左から、伊藤桂一先生、黒田杏子先生、笠原淳先生、那珂太郎先生、種村季弘先生。
選考委員の種村季弘先生、春日井建先生、
眞鍋呉夫先生、那珂太郎先生、笠原淳先生、加島祥造先生はつぎつぎと天上に旅立たれてしまいました。
今もご活躍の高橋順子先生。
師の黒田杏子先生も駆けつけてくださいました。
先生方に託された思いを忘れずに精進してゆかなければならないと、
梅の花に思いをあらたにします。
手袋をはづして拾ふ梅の花 里美
(『あかり』)
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木工作家の井崎正治先生の展示会に伺いました。
拙句集の『森の螢』の表紙に、井崎先生の作品を使わせていただきました。

そのご縁での井崎先生との久々の再会でした。
久々と言っても、二十年ぶりぐらいというご無沙汰です。
井崎先生の作品を二十年ずっと、身近に飾っているから、久々と感じてしまうのかしら。

会場は、銀座の教文館の4階です。

木工作品は、人形、うるし塗りの食器、盆・トレー、椅子、靴べら、額、カード立てなど、素敵な作品ばかりでした。
その作品のすべてから、ほっこりあたたかさが伝わってきます。

そして、この会場で思いがけなく、『森の螢』を教文館が販売してくださることになりました。
この本は、流通ルートに乗らなかったので、一応、レア本ではあります。

教文館には、「ナルニア国」という絵本や児童書の専門店があります。
「ナルニア国」は、わたしの好きな書店で、またしても長居してしまいました。
『ナルニア国」は絵本作家さんたちとウクライナ避難民支援もされています。
店奥の『らんらんランドセル』の原画展もうっとりでした。
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『鎌倉ペンクラブ』№27(2022.8)に「反戦の俳句」を寄稿しました。

わたしの反戦の俳句が掲載された教科書が、高校生の手元にとどくころ、
ウクライナへの侵攻が始まってしまいました。
やるせなく、反戦の俳句について論じた小文です。
思いがけなく、この教科書の編集部へも、この小文が送られることになりました。
一日も早い停戦を祈ります。
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