ささやかな人生の或る時を俳句に詠む。俳句に詠んだおかげで、その或る時が、後々、映画のように私には甦ってくる。
月を仰いだ私の或る時を辿ってみる。
照る月の胎児に腹を蹴られけり 『あかり』
流産、早産の危機を乗り越えたときに詠んだ句。月を詠もうと庭で月を仰いでいるとき、膨らんだお腹を胎児にぽんと蹴られた。
胎児は月光を感じるのだろうか。出産はやはり満月の日だった。その子も無事生まれれば、
庭先の子供は月を見て飽かず 『あかり』
幼い目にも、月の光は不思議に見えたのであろう。いつまでも月を見上げる二歳児に。
父母の十六夜の手をひく子かな 『あかり』
私は句会があると、子供を実家に預けて出かけた。
十六夜も上がり、子供を迎えに行くと、子供がわたしたち夫婦の手を早く帰ろうと云わんばかりに引っ張った。幼心の寂しさを感じた。
時は飛んで、私も働き盛りの中年になれば、
月光やこの淋しさのあるかぎり 『森の螢』
生は死へむかう淋しさをひしひしと。
月おぼろ人の記憶の中に吾 『森の螢』
高校の同窓会。銀座は朧月。「放課後の教室であなたはこう言った」と鮮明に話しはじめるD女史。
スーパームーン父に言葉が戻る 『森の螢』
退院後、口数の減った父が急に以前のように語り始めた。折しも、地球に最接近した名月の力かもと思わせた。
モナリザの青さ増したる良夜かな 『森の螢』
名月や巴里街頭に眠るひと 『森の螢』
再会のモナ・リザ。廻りめぐったルーブル美術館の窓は、いつしか十五夜の景。
パリに遊学中の子の下宿先からも、名月を仰いだ。向かいのアパートの曲がり角に、二人の路上生活者がいて、いつもそこを通るときに気がかりだった。今宵は満月の石畳に寝入る黒い姿。
蕪村の「月天心貧しき町を通りけり」を思い出した。蕪村から二百年もたった現代でも、いずこの国にもある貧困。貧困の問題解決にはほど遠い、俳句の世界に浸った半生を、申し訳なくも思う望の夜であった。
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