黒田杏子先生追悼

黒田杏子先生から、またお電話があるような気がしてならない。

杏子先生を失ったかなしみは、これからますます深くなるばかりであろう。

追悼の気持ちをこめて、2022年に「藍生」に掲載した拙文を再掲載する。

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「藍生」とわたし

                 

「皆さんは詩人なんですよ」と山口青邨先生は大学内の句会で学生の斎藤杏子女史たちに語りかけたそうだ。

本棚に並ぶ「藍生」のどの号を開いても、すてきな俳句がぎっしり。こころが弾む。「藍生」のみなさまはみなすてきな俳人である。このすべての豊かな出会いは黒田杏子先生につながる。

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大学三年の十九歳のとき、私は杏子先生に出会った。以来、ほぼ毎月、句座を共にすることができた果報者である。若い人生に俳句がすべりこみ、ふくらんできて私は葛藤することになった。キャリアウーマンかつ文芸をすることが私の理想像で、杏子先生はまさに理想像そのものであった。はたして私にできるのか、悩んだ。親や外務省の受験勉強仲間から諭された。苦しかったが、結局、よし、俳句をやるぞと決意して大学を卒業した。

山口青邨先生ご指導の「白塔会」に学び、「夏草」にも学び投句した。牧羊社の「牧羊集」や詩誌の「ラ・メール俳壇」にも投句した。思いがけなく黒田杏子先生の序文第一号を賜り、句集『螢の木』を刊行した。「夏草」終刊後、「藍生」に入会したのである。

もう、二十七年も前なのだ。「藍生」創刊のはじめての例会に参加したあとに、私はあきらめかけた妊娠に気づいた。「藍生」でがんばろうと張り切っていたのに、切迫流産で安静となる。落胆した私を力づけたのが、「藍生集」の選句欄であった。句評を賜り、どれほど勇気づけられたことだろう。育んでいただいたことだろう。

創刊から三百二十九回以上もご多忙の中、選句作業をなさった杏子先生に心より敬意を表したい。藍生集のご選評は俳句の、ひいては人生の学びの書であった。杏子先生の作品、句友の俳句作品に心を洗われ続けている。

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出産予定日間近の私は、親となる前の最後の一人吟行として江ノ島に小舟で渡った。我ながら大胆。産気づかなくてよかった。そんなエピソードを「藍生」に綴ったこともなつかしい。私は文章を書くことも好きなので、書く機会は楽しく書かせていただき幸いだった。 

私は、杏子先生の文章の昔からのファンで、先生のご選評、エッセイを読むことを毎月楽しみにしている。藍生のみなさまのエッセイも味わい深く堪能している。

黒田杏子先生は、博報堂で培った名プロデューサーであり名編集者である。「藍生」の誌面のうつくしさは群を抜いていると外部のプロは絶賛していた。「藍生」の編集や事務局のお仕事をなさってくださっている方々にも感謝を申し上げたい。私も今後お手伝いに伺おうと思う。

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杏子先生ご企画の「藍生」の吟行句会のプログラムもすばらしく。私は幼子を母に預けてできるかぎり参加した。各地の名勝、聖地へ吟行句会ができたことは、かけがえのない旅であった。

ゆっくり吟行した羽黒山。夜更けに草に寝転んでみた流れ星。斎館に法螺貝が鳴り響き、心地よい風が吹き渡った大広間の大句会。あの清々しさは忘れがたい。

高野山の空海の霊廟で満行結願の杏子先生とともに正座して拝んだ灯明もこころに灯る。

「坂東吟行」は、数回、幹事として地元の「海燕の会」のみなさまと協力して貴重な勉強の場となった。鎌倉のひらきゆく桜をじっと見続けていらした杏子先生。

一介の老女一塊の山櫻     杏子    

の名句誕生のときだった。

「海燕の会」は、鎌倉近辺や遠出の吟行をして楽しく句会を重ねて十八年になる。

幹事として「いざ、鎌倉 藍生のつどい」を準備中の時だ。鎌倉で「海燕の会」の句会の最中、東日本大震災が発生した。電車が止まり、市役所泊りの仲間もいて句会の危うさを痛感した。震災にふるえつつ、つどいのために電卓をたたき続け、プランを練った。杏子先生ご提案による、ソウルの金理惠さんの韓国舞踊は好評でありがたかった。大会運営の準備の大変さを学び、皆で協力して仕事をする醍醐味を久々に味わった。大会最終日、みなさまが鎌倉プリンスホテルを去り、ひとり最後の会計の支払いをしていると、浅井さんご夫妻がロビーに現れ、愛車で拙宅まで送ってくださるとおっしゃる。驚きうれしかったことを思い出す。

杏子先生の百観音巡礼吟行は、二人の子育て期と重なり、存分に参加できなかった残念な思いもあるが、その他の吟行句会の豊かな思い出がたくさんある。

杏子先生本当にありがとうございます。杏子先生の句に学び句会に学び「藍生」に学び、今の私があります。三十七年間も、先生の俳句魂がわたしの俳句魂を育ててくださいました。感謝の気持ちがいっぱいで涙がこぼれそう。これからも青邨先生、杏子先生と「藍生」に学び続けてゆく所存です。